STAND WAVE ナミキの戯言
ネイチャーヒップホップグループ「STAND WAVE」のリーダー、ナミキのコラム
カズ君とヒロリンの最近
このコラムには
「カズ君」と「ヒロリン」
という人物が登場する。

久しぶりの登場なので、
最近、このコラムを読み始めた方には、
分からなくなってしまう。
簡単に紹介するので、
興味がある方は、
以前のコラムを読んで欲しい。


カズ君:
カズ君は重度の知的身体障害者である。
現在21歳。車いすで生活している。

俺はホームヘルパーとして
障害者の介護の仕事をしていて、
それを通じてカズ君と出会った。


そんな月曜日。
月曜日はカズ君の介護の日。

人に
「なんの仕事をしているの?」
と聞かれると
「ホームヘルパーとして障害者の介護の仕事をしています」
と答える。
まあ、
「音楽やってます」
って胸をはれるほど
音楽での収入はない。

で、
今日はそこが問題なのではなくて
「障害者」
って部分だ。

人に説明する時に、
一番簡潔に状況を説明出来る言葉が
「障害者」
なのではあるが、

やはり、
今日カズ君と一緒にいても
障害者を介護している、
という感覚とはどうも違うのである。

友だち?

カズ君はほとんどしゃべれない。
「ウゴウゴ」
とか
「ガーガー」
といった感じだ。

しかし、
俺はカズ君がしゃべりたいほとんどのことを理解している。

「ウゴウゴ」
今日はサイゼリアでご飯を食べるの?

ってな感じである。
そしてカズ君は、
俺の言っていることはほとんど理解している。

だから
俺たちの間には確実にコミュニケーションが存在している。
そしてお互いを思いやり
一緒に楽しい時間を過ごしている。

しかし、俺の働いている所の
他のヘルパーさんはカズ君の言っていることが分からないくて、
そんな時、カズ君は俺の方を向いて
説明してくれ、
という顔をする。

そういった時だろうか。

「ああ、カズ君は障害者だったのか」

と思うのは。
つまり普段はほとんど感じていないのだ。

これは、きれい事ではない。
最近の風潮として、
障害者や高齢者を擁護する動きがあって、
以前のように簡単に批判されるモノではなくなった。
そういった中での
きれい事ではない。

確実に存在するものなのだ。

その存在の仕方が自分の中であまりにも自然だから、
自分でも驚いてこうして書いている。



ヒロリン:
ヒロリンは小学校2年生から特殊学級に入り、
ずっと「中度の知的障害」
という扱いを受けてきた。
俺は彼が小学校6年の時から
週に1回家庭教師を行い、
彼は現在高校2年生。
普通学校の定時制に通っている。

彼が中学3年の時に
普通高校を受験しないか?
と彼に尋ねた。
彼はうなずいた。
そして1年間、
受験勉強と受け入れてくれる高校探しをした。

そして、
ちゃんとした高校受験を経て
彼は高校に入学した。


最近、彼に会ったのは4月。
それ以来メールも電話もしていない。
高校入学当初は、
なかなか友だちが出来なかったり、
不安なことがあったりで、
毎日のように携帯にメールが来ていた。

それが最近ぱったりと途絶えた。

心配になって、
さっき家の方に電話をしてみた。

すると
とても元気にやっているそうだ。

彼は定時制なので
昼はデパートの青果売り場で1年以上働いている。
とてもハードで、
また扱いも厳しい中、
それでもがんばっている。

そして、
先日、クラスメイトの25歳の友だちの誕生パーティーとして
もんじゃ屋さんに行ったそうだ。

正直驚いた。

もう、
まったく普通の高校生である。

中学の時、
彼の特殊学級の担任が
普通高校進学を反対した。
いじめられたりするのを心配して。
そしてヒロリンには
普通学級でやっていける能力がない、
として。

しかし、
俺は無理矢理にでも押し通した。


今の彼を見て、
誰が、昔彼が知的障害と言われ
特殊学級に行っていると思うだろうか?

以前の彼を知るものが、
今の彼を想像出来ただろうか?


人間の可能性は、
残念ながら、周りの環境によって多くを削られてします。

こうした一つ一つの出会いが、
人生を変えていくことを
俺はじわりじわりと実感している。


俺は音楽を届けるものとして、
「誰かの心に触れたい」
のである。
これは、
こうした出会いがあっての
強い想いである。
サンダル
手編みのサンダルを履いて出掛けた。

今日はライブの日。

代官山にサンダルを履いて出掛けた。

普段俺が履くスニーカーってやつは、
中にクッションやエアーが入っていて、
衝撃を和らげてくれていたんだ。

今日は腰と足がもう痛い。
それはサンダルが衝撃を吸収してくれないから。

また一つお利口になった。

これからライブ。

サンダルで跳びはねるんだ。

明日はきっと全身が痛いよぉ。

おばあちゃん
先日亡くなったおばあちゃんの法事で、この週末に岐阜に行ってきた。

ふと思った。

おばあちゃんは、俺が生まれた時からおばあちゃんなのだ。

途中で、母になったり姉になったりするわけではなく
ずっとおばあちゃんだ。

物心ついたときから、おばあちゃんは、年を取っていて、
最後まで年を取っていて、
最後までおばあちゃんだった。


なんか少し気持ちが楽になった。

梅雨の合間の暑い一日だった。


こうして今日も一日が終わる。

またまたつくづく音楽の良さを感じた日
昨日は、
障害者入所施設の音楽祭に招かれてのライブだった。

ここは、
知的障害を持つ、軽度の人から重度の人までが
短期入所するところで、
入所中は色々な作業を行っている。

その作業班ごとに
音楽祭の出し物として
歌を歌ったりする。


みんな曲に合わせて
鈴や太鼓を叩いているだけなのだが、
実に楽しそうである。

音楽の原点はきっとモノを叩くところから
始まったと思う。
そうして音が出て
リズムが出来て、
メロディーが出来て。

そしてモノを叩く音に合わせて
自然に体が動く。

そういった音楽の本当の良さを体感出来た。

何よりも
一生懸命な純粋な目が印象的だった。


俺たちのライブは
3曲。
みんな一生懸命聞いてくれているのが分かった。

後で施設の人に聞くと、
普段、じっと座ってられない人が
俺たちのライブの最中は
じっと聞いていた、
とのこと。

とても嬉しかった。


最後、
比較的軽度の障害の人たちがやっているバンドに
フリーでラップで参加することになった。

打ち合わせも、リハーサルもなしの
ぶっつけ本番で、
俺がいきなりラップで入ると
演奏者のみんなが驚いて
俺の方を見ていたが、
とても楽しく出来た。


その後、
そのバンドのみんなと
沢山話をして
とても充実した一日で帰ってきた。


新しいつながりも出来て、
またこういった場所でライブが出来そう。



あ〜
音楽ってやっぱりいいものですね。
そのままで
障がいを持っている人、
例えばカズ君とかと一緒にいると、
つくづく俺という人間は
色んなものを着込んで生きているんだなぁ、
と思う。

例えば、
洋服、靴、
そして整えたヒゲに眉毛、
そして姿勢を正し、出てきたお腹を引っ込めて歩いている。

人間社会で生きる以上、
他人、誰かを意識せずに生きる、
ということは無理だと思う。
でも
極端にそれに執着して、
自分を見失ったりもする。


そんな、
自分がありのままでいることに難しさを感じている俺の前で、
彼ら(カズ君など)は
いとも簡単にありのままでいるような気がする。
実に自然に生きている。

まあ、これは少々オーバーであって、
彼らだってちゃんと
相手を意識し尊重した行動や気遣いも出来るのだが。

ただ、
最近ふとそんなことを思う。



知り合いで困っている人が何人かいた。

その困っている、
というのは、
みんな
「どう生きていけば良いのか」
悩んでいるのだ。

俺は28歳になった。
同年代の友だちはみんな就職し、
会社に入って4,5年くらいを迎えている。

ちょうど一段落して色んな事が見え始めた時に、
果たしてこのままで良いのか、
という想いが溢れてきている。

そして
「おまえは好きなことやれてていいよな」
って俺に声をかけたりする。


そんな時、
俺は、本当はこんな言葉をかけてあげたいんだ。


「大丈夫 大丈夫 そのままでいいんだよ」


でも、うまく伝えられなくて・・・。



自分自身をしっかりと見つめ直し、
これからも自分の意志で生きていくにはどうしたらいいのか。

「そのままで」

という歌の歌詞を書く時に
このことに一番悩んだ。

こんなことやあんなことや、
だから「大丈夫だよ」
と例を羅列しても
どうも説得力がないような気がして・・・。



先日、
おばあちゃんが亡くなった。

その通夜のとき、
俺は車の整理をするために、
近くの道に立っていた。

おばあちゃんの家は、
本当に田舎で、
隣の家までは数十メートルあったり、
外灯がなかったり、
裏は山で。

そんな中、
一人で立っていたら、
都会で生活していては絶対に感じることの出来ない、
「絶対的な闇」
が襲ってきた。

今俺がここで大声を出しても誰にも聞こえない。
周りは何も見えない。

俺はどんな服を着て、
どんな顔をしているのかも分からない。

闇。

そこは、
直で自分自身と向き合わなければならない場所だった。


そこで感じたことは、
自分の心臓の音や息づかい、
まさに人間が生きている音だった。

おばあちゃんは死んだ。
死んだおばあちゃんからは何も音がしなかった。


これが生きていることだ

とつくづく感じた。

こうして、
自分の根本を知り、
改めて見直した時、

心から

「大丈夫 大丈夫 そのままでいいんだよ」

という言葉が湧いてきた。

生きている。

人間はただそれだけでいい。

あまりにも多くのものを
着込み過ぎて
身動きが取れなくなっている。

もしそれらを全部はがしたら、
生きている、
ということしか残らない。

それだけでいいんだと。


それが本当に分かれば、
自分自身を認めてあげられるような気がした。



あなたにも伝えたい
大丈夫 大丈夫 そのままでいいんだよ
サッカーを見よう!
スポーツは全て大好き。

ということで、
今夜はサッカー日本代表の試合が夜にあるから、
見る。

久しぶりに見る。

というか、
久しぶりにテレビをつけようと思ったら、
リモコンがなくなってびっくりした。

それくらいテレビを見てなかった。


テレビはいいんだ。


スポーツっていいよね。

俺にとっては競馬もスポーツ。
馬券は買わない。
でもレースは見る。


スポーツってホントにいいよね。


純粋。



つまり、、、
まあそんなことだ。